ちょこラム!アーカイブス
■2005−2006にブログに書いた4人の「ぽんぽんコラム」をストックしました

イタイさんの場合
itai

・地域コミュニティとか祭りとかを研究していたはずが、いつのまにか福祉系の大学の先生になってしまって、
いまやどっぷり福祉系です。

2005/10/9
「恋愛と援助技術の<関係>って・・・」

個人的にだけど、
恋愛と援助技術は<似ている>と思う。
誰かのことを好きになったことがあって、
少しだけ介護経験でもあれば
<ハッ>とする瞬間があるもんだ。

「あれ?この感情ってどこかで経験したような・・・。」

援助技術の歴史は浅い。
バルチモアのおばちゃんだったRichmondは、
友愛訪問(Friendly Visiting)を通じて、
「真の友人たれ(A real Friend)。」なんて言ったのがおよそ100年前。
この時はまだ<友人>だった。

その後、BiestekがThe Casework Relationshipを書いたのは1957年。
たかだか48年前だ。
彼が提唱して、
専門家がこぞって「これこそケースワークのSoulだ。」という7原則は、

原則1「クライエントを個人として捉える。」
原則2「クライエントの感情表現を大切にする。」
原則3「援助者は自分の感情を自覚して吟味する。」
原則4「受けとめる。」
原則5「クライエントを一方的に非難しない。」
原則6「クライエントの自己決定を促して尊重する。」
原則7「秘密を保持して信頼感を醸成する。」

どれも「クライエント」を「恋人」に置き換えて、
「援助者」を「自分自身」だとすると<面白い>読み方ができる。

あなたはどうだろう?この原則を実践できているだろうか?
はたまた原則7あたりでドロドロしてないだろうか?

もちろん、恋愛と援助技術は<似ている>かもしれないが、
<同じ>ではない。
だって、<同じ>だったら、それはそれで大変だと思う。
援助<する側>も<される側>も疲れそうだ・・・。

<同じ>になっちゃう感情を臨床心理では「感情転移」という。
いわゆる、「カウンセラーのこと好きになっちゃったぁ!」というやつ。
フロイトはこの転移の中でも「恋愛転移」を禁欲原則に基づいて
治療への「抵抗」として否定している。

まぁ、そのあたりに<同じ>と<似ている>の違いを線引きするとして、
じゃあ、何が一番<似ている>んだろう。

あくまでも個人的にだけど、
原則4「受けとめる。」ことだと思っている。
その人のあるがままを、
自分のあるがままを、
<受け入れる>ということ。

なにも援助<する側>だけが<受け入れる>んじゃない。
<される側>も<する側>を<受け入れる>ことができて、
はじめて僕らの支援(恋愛)は成り立つ。

欲求や外見や身体機能を超えた部分で
相手を<受け入れる>ことができる瞬間が、
この世界にいて<たまに>ある。
<いつも>じゃないところが僕の<人間性>なのだろう。
そんな自分も<受け入れ>つつ、
その瞬間に僕は恋愛と援助技術はやっぱり<似ている>と思う。

だから僕は、学生に<恋愛>を勧める。

ちなみに僕の彼女は3cm僕より背が高い・・・。


2005/7/7
「社会福祉の<専門性>を考えよう」

僕たちの身近にいる社会福祉専門職としては、社会福祉主事や保育士、社会福祉士、介護福祉士、また、最近では平成10年に国家資格化された精神保健福祉士(PSW)などがあげられます。

 その中核として期待される社会福祉士・介護福祉士には、昭和62年に定められた「社会福祉士及び介護福祉士法」の中で「専門的知識及び技術」を持つことが求められています。
 ところが、社会福祉士・介護福祉士には、名称独占(他の人がこの名を騙ってはいけない)はあるものの、医師・弁護士のような業務独占はありません。

では、具体的な専門性とはなんでしょうか?

 社会福祉専門職がもつべき「専門性」の要件として、よく次の12項目に整理されます。@創造性をともなう知的な過程、A体系的理論、B倫理基準、C専門職的権威、D専門職的副次文化、E専門教育と研修、F専門職団体の組織化、G社会的承認、H公益性の志向、I科学的・批判的・合理的視座、J高い報酬と社会的評価、K専門職者としての個人的責任。

 とりわけ、B倫理基準については、各専門職集団によって「倫理綱領」が明文化されていて、日本ソーシャルワーカー協会においても昭和61年に宣言がなされています。その前文には「福祉専門職の知識、技術と価値観により、社会福祉の向上とクライエントの自己実現を目指す専門職であることを言明」しています。さらに、「人間としての平等と尊厳」「自己実現の権利と社会の責務」「ワーカーの職責」を原則としつつ「クライエントとの関係」「機関との関係」「行政・社会との関係」「専門職としての責務」といった具体的な行動の準則が示されているのです。これら「倫理綱領」の中にこそ「専門性」のあり方が見えてくるのではないでしょうか。

 つまり、「福祉労働は家事労働の社会化」とする側面からは、専門性の規定が単純ではありませんし、実際には社会福祉専門職とボランティアとが同じ職場で並び立つという独特な現実も存在します。そのようなさまざまな環境の中で、普遍的な価値レベルに留まらない「倫理的ジレンマ」といわれる状況に立った時、ここでこそ「倫理綱領」に基づいた「クライエントとともに選び取っていく」というソーシャルワークの「専門性」が発揮されるのではないでしょうか。

 最近では、介護現場で働くための資格要件を介護福祉士に一本化することで、質を担保しようとする方針が厚生労働省から出されるなど、その「専門性」があらためて問われようとしています。
 需要の拡大に対する専門性の維持向上を図るためにも福祉専門職の<こころ>を支えるあり方を検討し、「燃え尽き症候群」などを防ぐ必要も一方では急務でありましょうし、なによりも社会福祉士の社会的な認知度を高めることが「専門性」の確立に欠かせない条件と考えます。


2005/4/14
「フクシノハナシC〜権利擁護ってむずかしそう?〜」

2000年に改正された社会福祉法では、1997年以降議論されてきた社会福祉基礎構造改革の基本理念に基づき、「利用者の立場に立った社会福祉制度の構築」が一つの柱として示されました。そこでは、児童や障害児(者)福祉サービスへの利用契約制度の導入が挙げられ、2000年に介護保険法がスタートしています。また、2003年には支援費制度が施行される等、「利用者による自由意志での選択」や「自己決定の権利」が保障されることとなったわけです。

 しかしながら利用者の全てが、十分な自己選択や決定が可能ではなく、ここに利用者の権利擁護(アドボカシー)の必要性が生じる理由があります。社会福祉法においては、「精神上の理由により日常生活を営むのに支障がある者に対し、無料または定額な料金で、情報提供、助言、利用料の支払い等、福祉サービスを適切に利用するため」の福祉サービス利用援助事業が定められています。また同法では、サービス提供事業者の苦情解決への責務や、運営適正化委員会の設置、社会福祉協議会が行う地域福祉権利擁護事業(以下地権事業)も規定されています。あぁ、なんだかむずかしそう・・・。

 地権事業は、痴呆性高齢者、精神障害者、知的障害者等で日常生活において情報収集や理解・判断・意思表示が困難な者に対して、福祉サービスの利用に関する援助や、それに伴う苦情解決制度の利用援助、日常生活上の消費契約や行政手続に関する援助、日常的金銭管理に関する援助を行います。具体的には実施主体と利用者との間で契約を締結し、利用者自身の意思決定を踏まえた支援計画に基づいた援助です。また地権事業の対象者は、支援計画の内容について判断できると認められる者でなければならないことから、2000年にスタートした「成年後見制度」を補完する事業とも位置づけられています。実施状況としては、2002年度で相談・問い合わせ件数が約16万件、その内、契約締結が約4700件となっています。

 むずかしそうですが、とっても大切な考え方である権利擁護制度は、その対象者やいろいろに考えられる事象の幅広さに、どのように対応するのかが課題の一つと考えられます。

 研究者によれば、救済という結果を重視する「戦うアドボカシー」と、自己決定という過程を重視する「支えるアドボカシー」とに分類されます。さらに後者を「残存能力を尊重した比較的短期の緩やかな支援」を必要とする高齢者や、「自己能力形成を目標にした比較的長期のきびしい支援」を必要とする知的障害者というように、「支え方」のさまざまなあり方を重要視しています。とりわけ、医療契約といった場面においては、手術等危険を伴う治療を行うのに、適切な判断を誰に求めるのか、その判断基準をどこにおくのか等、新しい取り組みであるだけに課題も多いわけですね。

 


2005/3/14
「フクシノハナシB〜少子化になると社会保障がなりたたないの?〜」

2004年6月に厚生労働省から発表された「人口動態統計」によると、女性1人が生涯に産む子どもの平均人数を示す「合計特殊出生率」は1.29。

 これは70年代に人口置換水準2.08を下回り、1975年の第2次ベビーブーム以来下がり続けて戦後最低の記録となりました。これら出生率の低下を表現する「少子化」という用語が注目されだしたのは、1970年に65歳以上の高齢者人口の比率が7%を超えて、国際連合の定める高齢化社会へ入った頃だと言われます。その後も、1989年に「丙午」を下回る「1.57ショック」が起こるなどして少子高齢社会がもたらす問題への関心が社会的に高まっていったわけです。

 少子高齢社会の社会保障に及ぼす問題は、労働力人口と税金の払い手が低下することに集約されるでしょう。具体的には、2002年の「中位推計」によると20歳未満の年少人口と65歳以上の老齢人口を支えている20〜64歳層の年齢構造は、2003年の61.4%から2030年には54.9%にまで減少すると推計されています。その上、運用利回りの低下も伴うと賦課方式で運用される公的年金の財源は破綻を余儀なくされてしまうわけですね。これは困ります。労働力人口の確保は社会保険負担者の安定的な確保に他ならず、現在わが国の社会保障財源の約6割を構成する重要かつ緊急な課題であると言えるでしょう。

 これらの課題に対して2004年6月に成立した年金改革関連法では、保険料水準固定方式やマクロ経済スライド制といった試みが導入されました。これによってモデル世帯(40年勤続の会社員と専業主婦の妻)の厚生年金の給付水準は給付開始時点で現役世代の手取り年収の50.2%の保障を目指します。
 また、高齢者と女性の労働力率の向上も一つの方策と考えられています。財政的観点から捉えると、現在の年金制度で、第3号被保険者といわれる専業主婦は約1200万人。個別には保険料を納付せずとも扶養者の年金制度で負担し、老齢基礎年金を受給でき、さらに医療給付も同様に受けられるわけです。

 これらが社会保障の「受け手」から働きに出て「支え手」として保険料を支払うとすると、計算して見ましょう・・・、毎年約1兆9000億円の年金財政が潤うともいわれています。これは、社会保障給付費の総額が2001年度で81兆4007億円とすると、その約2%に当たります。

 僕は、日本人のライフスタイルが多様化する中で、時代のニーズに即した改革が必要と考えます。とりわけ、「仕事と子育て」の両立支援を目指すことは社会保障財源の確保に有効と思われますが、「出産、育児に関する女性の自己決定権の保障・配慮という視点」には十分な注意をしなければならないことは言うまでもありません。
 いずれにしても、年金改革法案で示された「年金制度の一元化を含めた社会保障制度全般の一体的見直し」の成り行きは注目されるところです。