ちょこラム!アーカイブス
■2005−2006にブログに書いた4人の「ぽんぽんコラム」をストックしました

ハボ山さんの場合
habo

・ハローボランティアネットワークの代表であり、官民あわせて三重県防災界?をしょってたっている人

PONPONでは若手ナンバー1の賢人として信頼されている…のに、「ハボ山くん」と呼ばれている…。

2005/11/29
「ボランティアがきっかけで・・・」

ちょコラムへの投稿を危うく1月飛ばしてしまうところでした。(すっかり忘れていた…) 私にしては珍しく今まで皆勤(だったはず?)なので、なんとしても続けるぞ〜っと、頑張ってきたつもり。読み返してみるとその時々の精神状況がわかって面白いですね。

さて、今回のネタは、ボランティアをきっかけにした結婚のお話。
これが自分のネタならニヤニヤしながら書いているのでしょうが、残念ながら違ってメンバーの方の話です。

私のやっているハローボランティア・ネットワークみえで取り組んでいる「宮川花火大会」のゴミナビボランティア。とっても忙しく充実した活動なのですが、そこでいつもリーダーをお願いしていた南勢町の某氏から今日電話がありました。

 某氏「あの〜、実は今度結婚することになりまして」
 私「おめでとうございます!!」
 某氏「そこで、ぜひ結婚式には出席して頂きたいのですが…」
 私「は? なぜ私が?」
 某氏「実は、花火大会のボランティアで知り合った女性なんです(照)」
 私「な、なにぃぃぃぃぃぃっ!! 私を差し置いて、ゆるさ〜〜〜〜〜〜ん!!(怒)」
 某氏「えへへ(笑)」
 私「・・・」
 私「ほ、本当に?」
 某氏「はい、ぜひ出席してください」
  ・
  ・
  ・

あんなに忙しいゴミナビリーダーなのに、いつの間に仲良くなったんだろうと不思議ですが、そういうこともあるみたいです。(苦笑)


2005/10/18
「協働するパートナーを“養成”する?」

今日とあるところで大学の先生とともに「協働」をテーマにした講座をやりました。
そこで面白いたとえ話があったのでみなさんにもご紹介。

「コラボレーション(協働)」ってどういうことなのか? をわかりやすく説明するたとえ話。

・「コラボレーション」という言葉が最初に使われたのは芸術の世界である
・たとえば、ピアニストと油絵作家が能力を出し合って、より芸術性の高い新しい価値を持った作品が作り出されるときを「コラボレーション」という
・つまり、「コラボレーション」とは、『異なる自律した主体』が『共通の目標』を持って、『互いに責任を果たし』ながら、事業を行うことである

かなり要点をはしょってしまったのでわかりにくいかもしれませんが、今回言いたいのは『異なる自律した主体』という部分。

最近、市民にも公共を担ってもらえるように(市民を協働のパートナーにするために)、行政が「○○ボランティア講座」とか「△△市民塾」といったものをやることが多いけど、そこで養成された人たちって「自律した主体」なんだろうか?

芸術の喩えでいうと
「コラボレーション作品を作り上げるためにピアニストが油絵作家を養成している」ことと同じですよね? これって何かおかしくないですか?
油絵作家を育てられるのはやっぱり先輩油絵作家であって、仮にピアニストの思惑通りに育った油絵作家とピアニストが作品を作っても、それは「コラボレーション」にはならないと思います。

抽象的ですが、『先輩』市民が『後輩』市民を育てていけるような仕組みを考えていかなければならないのでしょう。
より具体的には、いろんな専門NPOは、事業だけやっていればいいのではなく、その専門分野に付いての教育プログラムをもてる様になっていければ、ということでしょうか?

考えはまとまりませんが、そんなことを考えながら講座をお手伝いしていました。


2005/9/20
「弱者のピエロ(道化)求む」

防災対策を考える際、どうしても避けて通ることができない問題に「災害弱者」の問題があります。寝たきりの高齢者、外国人、難病患者など、大多数の人に比較して災害時・復旧復興時の取組により困難さを伴うひとを相対的に「災害弱者」と呼んでいるわけで、一人ひとりにそれぞれ状況や直面する困難は異なるため本来ひとくくりにすべきものではないのですが、例えば先の台風14号で亡くなった方の多数が65歳以上の高齢者であったこと、災害が社会の脆弱な部分により大きな被害をもたらすことを考えるとこの「(相対的)災害弱者」の問題を無視するわけにはいきません。
 ところが、「では一体何が困るのか?」という話になると、「???」となることが多々あります。そう、対策を考えている大部分の人は「(想定的)災害強者」なんですね。そうなると、一体何に困るのか? 想像できない訳です。
 そこで登場するのが「当事者(災害弱者)自身の声」を求めよう、という話です。本人が議論に加われば分からないところが見えて来るに違いない、というわけです。
 当たり前の議論なのですが、災害弱者の多くは日常から「弱者」であり、(知られていないが故に)迫害を受けている場合も少なくありません。そうなると、そんな方々の「声」を聞くのは大変困難になります。
 どうすればこの状況をブレークスルーできるのか?
 私はあえて災害時に困難に直面する人たちにお願いしたいことがあります。
 
「どうか、自らを話のネタにできるようなピエロ(道化)になってください」

どんな困難を抱えているのか伝えるためには人前に立つしかありません。人前に姿をさらすしかありません。あなた方の話を私がこっそり聞いて代弁しても社会は動きません。
当事者である災害弱者のだれかひとりが、よく似た課題を抱える人を代表して「人前に姿をさらす」必要があるのです。そのピエロ役をそれぞれ地域でぜひ担ってください。
そうすることで地域の人たちの弱者に対する理解が進み、ちょっとした心遣いが『当たり前に』できる社会になっていくのではないでしょうか?


2005/8/24
「ボランティアされ上手」

先日、ボランティアについて話し合いっていたとき、自分の中から出てきた言葉で自分自身納得できたことがありました。
ボランティア活動の充実度って、実は「ボランティアする側」の能力ややる気、想いに負ける劣らず大きな要素を持っているのが「ボランティアされ上手かどうか?」って事です。

たとえば、電車の中で中学生が高齢の方のために席を譲ろうとしたとき、
(1)「ありがとう」といって座らせてもらう
(2)無言でどかんと座る
(3)「わたしは年寄りじゃない!!」と怒って座らない
(4)「ありがとう、でももうすぐ降りる駅だから」といって笑顔で、でもきっぱり断る
どのパターンが一番「ボランティアされ上手」でしょうね?
いくら中学生の子が誠意を持っていても、受ける側がそれをうまく受け止められないといい活動にはならないってことがよくわかるたとえだと思いませんか?
地域でみんなが自然に支え合える、ボランティアが当たり前の世の中にしていくためには、ボランティアをしようと思う人を増やしていくことと同じ以上に、「ボランティアされ上手」の人を増やしていくことも大切なんだなぁ、って思いませんか?


2005/7/18
「危機管理の基本は?」

「事務局日誌」でも紹介されていたけど7/16は伊勢神宮奉納全国花火大会でした。
今年はなんと北は秋田から南は尾鷲まで。東は神奈川から西は鳥取、そして佐賀まで。全国各地から137名ものボランティアが集まって花火会場のゴミナビゲートを手伝ってくれました。
そしてボランティアがたくさん集まるイベントはお客さんも多い。今年はおそらく去年の1.2倍くらいのお客さんの入りだったような気がします。(主催者発表は相変わらず例年通り20万人でしたが:苦笑)
さて、それだけたくさんの人が集まると必ず起こるトラブル。気分を悪くするお客さんや迷子、実は今回ボランティアのメンバーの中にも頑張りすぎて熱中症になる人が出てしまいました。(幸い軽いものでしたが)
そんなとき、如何に迅速に対応できるか? 大きなイベントに限らず、危機管理の原則ってなんでしょうね? 私たちの仲間には現職の看護士が何人か参加しています。今回の熱中症の件についてもすぐ適切な応急対処を施すとともに、本人の氏名や連絡先、病状などのメモをとって救急隊員に引き継ぎをしてくれました。
また、別のスタッフは一緒に来た仲間を捜し出し、救急車に同乗していってもらうとともにご家族に連絡し、過度に心配しすぎないように情報を送り続けてくれました。
また別のスタッフは自動車で救急病院に行き、深夜だったにもかかわらず病院で体調の戻ったボランティアの方を自宅まで送っていってくれました。
トラブルは起こらないにこしたことはありません。しかし、何か起こった時その被害を如何に小さいうちに押しとどめるか? ということも、トラブルが起こる前に想定しておくと、今回の仲間たちのように迅速にそれぞれできることを最大限発揮し合い、事故を大きくせずにすませることができます。
危機管理をしっかりするためには、事前想定、すなわち「想像力」が不可欠なんでしょうね。
すべてはキチンと想定しておくことでいざというときにも心の準備ができているし、対応策もイメージできる、というわけです。
トラブルがあったことを反省しつつ、わたしの周りは人に恵まれているなぁ、と実感した花火大会でした。


2005/6/22
「ボランティア仲間との交流の形」

ボランティア活動の一番の魅力は「いろんな人との出会い」だ。
ponponが無ければこのちょこラムをいっしょに担当しているテルニーさんとも出会うことは無かったろうし、何の縁か、国の省庁の方と意見交換したりすることもなかっただろうと思う。
そんな「人との出会い」だけど、実は同じボランティア活動といわれる中にもいくつか類型がある様に感じるので今回紹介してみます。

その1:ママさんサークル型
 主に子育て支援や福祉に多い様な気がする。会議は主に昼間が多く、会議会場には必ずお菓子とお茶が出ている(これって偏見かなぁ?:笑) で、そのお茶お菓子代はみんなの割り勘で、結構細かい単位まで参加者全員同じ額を支払うようだ。

その2:JC型
 会議は夜。そして会議後必ず食事(飲み)に行く(笑)
 会議よりその飲み会の方で話が進むことも多い。割り勘とはいうのだが、必ず他の人より余分に払う人がいる。その人に「ごちそうさま」というのが礼儀(笑) まちづくり系に多い。

その3:学究(研究室)型
 大学の研究室の様に探求心を持って活動している人が多い。環境系によく見られる? ミッション重視のNPOでもある。
 会議の場には何もでないか、各自の持ち寄り(持ってきた人の自腹)。
たまに気の利く人がいて募金箱を用意すると、コーヒー代と称して各自適当にその日持っている小銭を入れていくが、結果的に黒字になっていても赤字になっていても気にする人は少ない(笑)

その4:大学サークル型
 活動の目的以外でも旅行や食事会などで集まったりする、コミュニティ重視型。
 会議も端から見ていると議論しているというより井戸端会議している感じにみえる。この点ではママさんサークル型にも似ているが、大きな違いは割り勘の考え方で、こちらのタイプのグループでは幹事的な人が割り勘の端数を担っていることが多い気がする。

他にもあるかもしれませんが、わたしが参加したことがあるグループではこんな感じに大別できました。
割り勘とかお菓子とか、ちょっとしたお金に関わる部分ばかりに目がいっている気もするけど、この辺って結構根幹的な好悪の感情につながるのかなぁ、と思うので、同じボランティアだからといって自分の団体での常識を他団体に不用意には適用しない様に気をつけてます。
みなさんはどうですか?


2005/5/25
「今年も花火のやつがやってきます」

 5月も終わりに近づいてきました。
もうすぐ梅雨、そして夏。
夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬と宮川花火(笑)
今年もやります。伊勢神宮奉納全国花火大会でのゴミナビボランティア。
今年のキャッチフレーズは
「HANABIきれいボランティア」
HANABIのきれいさにはきれいな会場が似合う。
伊勢志摩の方はお客さんを連れてHANABI会場に行く人も多いと思いますが、当日真っ赤なTシャツで楽しみながらゴミナビ活動しているボランティアのみんなを見かけたら、ぜひ「おつかれ〜」と一声かけてあげてください。みんな満面の笑顔で答えてくれるはずです。
もちろん、いっしょに活動してくれる仲間も募集中。
詳しくはハボネットのHPまで。


2005/4/27
「本当の目的があると・・・」

最近ホームページつくりに凝っている。
何を今さら? と言われるかもしれないけど、「はまっている」と表現してもいいくらい(笑)
今年も募集する宮川での花火大会エコボランティア(HANABIきれいボランティア)の募集のためのサイトつくり。参加してみたい!! って高校生や大学生が思ってもらえるようなサイトにしたいなぁって思っています。(だって、社会人やシルバー世代の人たちは違うメディアを見て参加してきているから)
初めてホームページを作ったのはもう8年以上前になるか? html文というやつをいじくりながらああでもないこうでもないと、まさに「ホームページを作ることが目的」だった。
今なら考えられないけど、ホームページを持っていることがかっこよかった。(いまじゃ、だれでももてるし、ブログなど新しいサービスもたくさん始まりましたよね)
でも、そういうサイトを見ていて、本当に何が目的なんだろう? と思うことがよくある。たぶんその人たちはまだ、「ホームページを作ることが目的」でしかないんだろう。

ふり返ってボランディアはどうだろう? 「ボランディアをすることが目的」になっていませんか? ボランティア活動ってあくまで行為であって、その目的がなんなのかをしっかり納得できていないと、単に「やってみたいから」「かっこよさそうだったから」で終わってしまうんですよね。

・・・と、ここで終わっておけば「目的をしっかり持とう!」というごく普通のボランティア論なのですが、実は私が久しぶりにホームページつくりにはまっているのは目的がしっかりしているから、じゃないんですよ(笑)
実は、、、
かっこいいサイトつくりができるソフトを手に入れたから!!(笑)
もうステキです。我ながらカッコいい!!って自画自賛しちゃっています。楽しくて仕方ないんですね。それが目的を持ってできるのでもう寝る間も惜しんで微調整して・・・

きっとボランティアも一緒。目的が明確でそれがどれだけいいことでも、カッコよくないと周りが盛り上がってくれない。自分もつまらなくなってくる。
目的がしっかりしたら、今度はそれを如何に「カッコよく」できるか? こだわってみるとボランティアに対する意識も変わってくるかもね。

ハローボランティア・ネットワークみえのwebsite
http://www.hello-v.net/


2005/3/28
「大学の地域貢献と市民活動」

先日名古屋大学主催のシンポジウムに参加させて頂く機会がありました。
 「まちとひとを守るために いま何をすべきか」
 −中京圏地震防災ホームドクター計画(H14〜16地域貢献事業)の成果を受けて−

名古屋大学では、地域貢献事業のひとつとして防災・減災の取り組みを地元地域で進めていくお手伝いをしようということで、大学教授による地域での防災啓発事業や地元マスコミとの勉強会のお話を伺うことができました。
それぞれに興味深い内容だったのですが、少し違和感も覚えました。
 「その事業って、大学教授じゃないと無理なの?」
ということです。
確かに地震や津波の専門的な用語を日頃勉強不足なマスコミの方々に知ってもらい、いざ災害時に正しい情報発信をしてもらえるような勉強会は大学教授ならでは、と思えましたし、私も参加してみたいと思いました。
一方、地域の小学校や自治会向けの防災講座を開催しているのを見させてもらいましたが、そちらはどうなんだろう? 確かに大学教授がやった方が膨大な知識を背景に行うことができますからいいものはできるかも知れません。でも、そんな内容は私たちでも勉強すればできるなぁ、と思えるんですよね。
いや、低予算なら文句は言わないのですが、彼らは「大学の地域貢献事業」として結構な予算をいただいて行っているわけです。(その分使っている教材は考えられたいいものが多いので参考になりますけどね)
なんかもったいないなぁ、と感じてしまいました。
大学の先生には大学の先生にしかできないことをやって欲しい。
ここでも、効果的な役割分担が、本当の地域貢献につながっていくんだと思います。
たとえば、大学の先生はその予算を有効に使いながら効果的な啓発プログラムやグッズを開発してNPOに提供し、NPOはそれを使いながら地域で効果的な啓発を実践する、とか。
ともかく、色々刺激になりました。NPOの意欲と学者の知恵との協働も、これからの日本の市民活動の課題として考えていく価値がありますね。


2005/2/24
「中学生の受付ボランティア」

先日、とある講演で長野県の方にお伺いする機会がありました。
社協の「福祉大会」という年に1回のイベントで、福祉功労賞の授与式があったりボランティア活動のポスター掲示や作業所の即売会があったりと、半日間で200人くらいの方がいらっしゃってました。
さて、そのイベントの受付に、学生服を着た中学生たちが6人ほどいて、来場者に資料を配ったりしていました。

この光景を見て、来場者の方は「若い子たちが参加してくれて、いいわねぇ」といっていました。
確かに(高齢者が大半を占める)来場者にとっては、中学生の子たちが受付をしてくれる、という光景はとてもうれしいでしょうし、心和むでしょう。
でも、当人たち中学生にとってはどうなんでしょうね?
受付といっても、用意されたチラシや資料を手渡すだけ。
そこにうきうきするような音楽が流れているわけでもなければ、迷子の子供が現れて、急きょ子供をあやさなければならなくなってとまどいながらも子供と楽しい時間を過ごすなど、ちょっと変わった体験ができるわけでもない。
まだ若い彼らが、な〜んか、日頃社協でいろいろ体験させてもらっている、その恩義に対する義理(苦笑)で参加している様に感じてしまったのは私のうがった見方なんでしょうか?

ボランティアって、してもらった方とした方、両方が満足できて始めて完成形になるんだと思います。活動をするとき、また、他の人に活動をお願いするとき、この活動は自分にとって(相手にとって)楽しい活動なのかな? ということを、ちょっと考える癖をつけておくと、こんなことがだんだん少なくなってくるのかもしれませんね。

(今回の受付の例でいうなら、終わった後に「来場された人たちみんなとっても喜んでいてくれたよ〜と声をかけてあげる、とか、ちょっとした雰囲気作りが大事なんでしょうね)