| 伊勢志摩バリアフリーツアーセンターは、障害者や高齢者など旅行に出かけるのに支障がある人たちに、伊勢志摩へのバリアフリー旅行を案内するとともに、観光施設のバリアフリー化を促進するために設立したNPOである。 車椅子の夫を持つ事務局長を中心に、地元の障害者と介助経験のあるボランティアなど10数名のスタッフたちが、観光施設や旅館などを実際に訪れたり宿泊したりして、障害者の目から見た評価をし、その情報を全国に発進して、旅行者に合わせたバリアフリー旅行を斡旋する。また一方では、伊勢志摩観光のバリアフリー化推進のために、民間、公を問わず、施設や道路整備などに対する助言や指導を行っている。 幸いにも、当センターは、活動そのものが認められるだけでなく、実際に新しい誘客力として数字に表れる効果を上げ、伊勢志摩観光のバリアフリー化も急速に推進されるなど、NPOとしてはかなりの成功を収めていると自負している。 この成功を一言で表せば、NPOと三重県との「生活者起点による協働」の実践であり、その実現に至るまでには、新しい公共を形作るのに必要不可欠な具体的事例がある。本稿では、それらを明らかにしたいと思う。 ■縦割り社会をつなぐ 伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの特筆すべき点の一番に上げられるのは、事業の目的が障害者福祉であるかのように映りながら、いくつもの目的が交錯しているところだ。 例えば、バリアフリーの利用者は、障害者よりも高齢者の方がはるかに多く、それだけでも障害者福祉と高齢化社会対応が両立しているのであるが、そもそもこのNPOがかかげている目的というのは、障害者福祉でも高齢者福祉でもない。「伊勢志摩観光のバリアフリー化による、バリアフリーマーケットの先行獲得」という、地域経済活性化事業であるのだ。 もちろん、スタッフのモチベーションは、障害者の視点にあり、レジャーにおける機会均等の社会づくり、つまり誰にもノーマライゼーション化された観光地づくりと、外出や娯楽の機会が少ない障害者に対するサポートという目的を持っている。 思うに、福祉の根元とは、弱者に手をさしのべることではなく、社会の中に弱者を作らないことなのである。さらに福祉とは、社会的弱者に対して最低限の生活を補助することだけでもなく、弱者が一般的な生活ができるような社会をつくることでもある。そしてそれは、福祉の対象たる弱者を、社会の一員として認識する、ということから始まるものであると思うのだ。 ところが、縦割りにされた行政の仕組みでは、福祉は厚生労働省の管轄であり、産業の発展は経済産業省、レジャーは国土交通省と分断され、障害者と社会が切り離されて考えられる傾向が強く、地域で繋げようとしても制約がありすぎて繋がらない。伊勢志摩バリアフリーツアーセンターでは、この常識を打ち破り、分断された社会を、市民の側から繋いだのである。 それが実現できたのには大きく2つの理由がある。一つには、私たちの組織が、行政の管轄に縛られることのないNPOであったということ。それは、NPOが社会変革の原動になるという可能性の一つでもある。 そしてもう一つには、事業の組み立てを、行政区分ありきでなく、障害者(高齢者)ありきの考えからスタートしていることである。 ■生活者起点の事業展開 障害者ありきの考えとは、三重県が提唱していた「生活者起点」あるいはそのモデルとなった「消費者起点」と同じ意味、つまり「障害者起点」の意である。障害者や高齢者が、いったいどのような生活をし、何を望んでいるのか?ここから入らねば、新しい公共も新しい産業形態も生まれない。 実際に障害者から、障害者の視点で社会のバリアについて語ってもらうと、それぞれが一様ではないことが判明する。さらに、観光やレジャーに「行きたい」と考えている障害者の割合は非常に高い。つまり、障害者の中で、旅行に行きたい、レジャーを楽しみたい、スポーツをしたいなど考えている人の割合は、健常者とまったく同じであるのだ。それは、考えてみれば当然の話でありながら、障害者の立場に立ってみないと、想像できないかった事実である。 「生活者起点」は経済における「カスタマーズ起点」を行政の世界に持ち込んだ概念で、今までの供給者の勝手な思いこみの否定から始まるのだが、まさしく、今までのバリアフリーも、障害者のことを知らない健常者が、障害者に対する供給者(行政・企業)がであったことが、バリアフリーをおざなりのものにしてきたのである。 NPOは、行政的な平等の原則にとらわれない。そのため、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターにおいても、対象としている障害者は、「旅行やレジャーを楽しみたい」という気持ちのある人に限っている。もちろん、そう考える人を増やす事業もしているが、とにかく出かける意志のない人までもを無理矢理引っ張り出すことは考えていない。するとここでも、思わぬ事実が明らかになるのである。 例えば、視覚障害者のカップルが旅館に宿泊したとする。すると旅館側は、目が不自由なのだから、景色は悪くていいから、フロントや大浴場に近い部屋の方が喜んでくれるだろうと考える。ところが、視覚障害の人たちは、景色を匂いや音で感じるのだ。だから海に面した部屋に泊まりたいのである。 あるいは、街頭で車イスのグループに食事処を紹介して欲しいと尋ねられる。すると健常者は、まずバリアフリーなレストランを考えて、ファミリーレストランを教える。しかし彼らは、伊勢志摩ならではの海の幸や伊勢うどんを楽しみたいのだ。そのためにならば、多少の苦労はいとわない。小さな段差などものともしない車イスの人もいるし、トイレが使えなくても大丈夫という人も多い。とにかく、バリアフリーであることよりも、まず味や雰囲気を大切にしているのだ。 そこで、当センターでは、旅の相談を受けるときに「旅行者のやりたいことを聞く」を基本とし、調査時には、それぞれの障害者にとってバリアになることは違うという「パーソナルバリアフリー基準」を調査基準としている。バリアフリーありきでなく、それぞれの障害者一人一人ありきによる、運営姿勢の現れである。 もちろん、障害者起点の考え方は、スタッフ体制にも反映されており、施設のバリアフリー評価に関わる「専門員」(=調査員)は、地元の障害者たち有志によって構成されている。車イス、杖歩行、視覚障害、障害者介助経験の多い健常者と多様で、最もバリアの多い車イスには、手動式車イスもあり電動車イスの者もいる。 さらに、調査を始める前には、彼らを中心に、長い時間をかけて評価基準づくりのワークショップを行った。初めての、障害者たちや介助ボランティアの人たちとの議論である。当初は意見の食い違いも多かったが、ワークショップを繰り返すことで、我々のポリシーを理解してもらうことができ、今まで日本には存在しなかった、多様な障害者に対応できる評価基準が完成した。それが、伊勢志摩バリアフリーツアーセンター独自の「パーソナルバリアフリー基準」であり、この考え方とシステムは、当NPOの貴重な財産となっている。 ところで、私たちの障害者起点の考え方と、その実現方法は、多くの方々から支持を得、評価されている。しかしながら、「旅行者のしたいこと」を「それぞれにパーソナルな事情」によって実現するのは、本来、旅行代理店の仕事であったはずなのだ。ところが、旅行代理店はいつの間にか、供給者起点の考え方で、観光業界に都合のいいツアーばかりを売ることになってしまった。結局、旅行代理店としての存在理由を自ら無くしてしまった。つまり供給者起点で消費者が離れていった典型的な業態なのである。そして、その業態にずっぽりと入り込んで、消費者より旅行代理店を大切にしている観光地や観光事業者も、全国で淘汰されつつある。 ■協働の形 さて、この事業にかかる年間約8百万円の事業費は3年間継続して、三重県の「伊勢志摩再生プロジェクト」からの補助金として供出された。伊勢志摩再生プロジェクトとは、落ち込みの著しい伊勢志摩観光の復興を目指して三重県から選任された地元メンバーが、それぞれの知恵と得意分野を活かして再生計画を立て、その結果責任を負いながら事業を遂行するという、これもまた新しい形の民間と行政による協働事業である。 そのメンバーである私が提案したのが、バリアフリーマーケットの先行獲得である。そのマーケットが潜在的に巨大であることは、海外の例を見るまでもなく確実であるし、さらに、かけ声ばかりで形のない「もてなし」のサービスは、すべての旅行者に対するバリアフリーという究極のサービスによって表現できるだろうと考えたのだ。 すでにバリアフリーに取り組んでいる事業者もいくつか存在していたし。ここでバリアフリー観光を正確にPRし、旅行者を斡旋するセンターさえできれば、それら先進的な事業者の追い風になるし、他からも経営的な判断により積極的にバリアフリー化を進める事業者が現れる筈である。 実は、この企画に至ったのは、設立当時、伊勢志摩NPOネットワークの会(筆者が主宰)で支援をしていた「伊勢ばりふり団」(現事務局長が主宰)の活動と、そこで知り合った障害者の友人たちとの出会いによる。彼女たちはすでに、伊勢志摩NPOネットワークの会の支援によって、地元の障害者を想定した遊びのバリアフリー情報誌「伊勢・鳥羽・志摩おでかけチェアウォーカー」を出版し、完売させていた。その活動では、バリアフリー情報を得るために、障害者グループに声を掛けて、調査チームを結成して調査を行うまでになっていた。障害者に本当に役に立つ情報誌システムを完成させたのだ。 伊勢志摩のバリアフリー化を促進し、バリアフリーマーケットを獲得するためには、それなりの組織が必要であるが、そこに「伊勢ばりふり団」の理念と組織がピッタリと収まったのである。少なくとも、彼女たちがいたからこそ、この事業が始った。 結果、私たちの理念は、「地域の活性化の自己実現」を望んでいた三重県の賛同を得て、活動資金を得ることができた。さらに当初の思惑どおり、これによって旅館や施設をバリアフリー化させようとする事業者が相次いで現れることにもなった。そしてもう一つ、地元の障害者たちに社会活動の場と雇用の場を創出することもできた。現在では、県や地域ののさまざまな部署におけるバリアフリー事業、そして国土交通省からも、本センターにアプローチがある。当初は、当事者であり生活者である彼女たちの小さな行動が、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターのきっかけとなり、金を動かし、企業を動かし、ついには社会を動かした。 行政の枠組みに捕らわれないNPOの理念。それは、生活者起点の社会づくりである。その理念を基本にすれば、縦割りの行政を横断し紡ぐ糸になる。そして、企業さえもがその理念に照準を合わせて企業努力をすることになるのである。そこでやっと、市民セクター、行政セクター、企業セクターの3つのセクターによる協働が始まるのだと思う。 ■協働による効果と、補完性の原理 近年の行政では、事業の成果や達成を数値的に振り返る「事業評価」が当然のこととなってきたが、NPOの活動においてもその感覚は必要である。その点で、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの上げてきた成果は非常に高く評価されているのだが、実はそれ以上に忘れて欲しくないのは、事業の達成のコストを相対的に評価することだ。 例えば、事業の費用対効果を、まともに経費計算して行政と比較すれば一目瞭然だ。事業費である年間8百万円を、行政においても人件費レベルから計算すれば、職員1人の雇用費と社会保障でほとんど消えてしまうだろう。しかもその職員はおそらく、観光のプロでも福祉のプロでもない。今から勉強をしますという素人が、自分の雇用費で使い切ってしまった事業費0の状態で何ができるだろう?もちろん何もできない。 しかし、NPOではその金額で、障害者のプロである職員を常勤で3人雇用し、さらに専門員にも日当を支払って調査を重ね、事務所を鳥羽の一等地に開設し、詳しいHPをつくって維持し、旅行者の相談案内を継続し、さらに施設に出向いてバリアフリー化の指導をし、マスコミには身を挺してPR活動をする。行政にも人件費がかかっているということを認識した上で比較をすれば、NPOのコストパフォーマンスの高さに驚くはずだ。 さらに、行政の公平の原則に則ってセンターを運営していたら、特定の旅館を斡旋したり、勧めたりするという行為ができなかったおそれもある。例をあげれば、日本中の各地で、行政によるバリアフリーマップというのは制作されているのだが、そこに載せられているのは、図書館や道の駅など公共施設ばかりで、民間のレストランなどは、内容や評判に関わらず同じ扱いで紹介され、障害者にとってまず使えないものなのである。 また、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの事業を行政で行った場合には、関係業界や様々なセクターより、論点の違う要望や意見が述べられて、事業推進に支障をきたすというのが通例だ。事実、観光業界や地方自治体の古い体質の人は、「バリアフリーを目指すのなら、センターよりも整備のための補助金などの方が必要である」などと言っているし、別の方面からは「地域の障害者福祉を考えずに、他県の障害者のために税金を使うとは何事か?」という意見も出た。 そう、実際にそのような話しはあったのだが、こちらはNPOである。我々が行政の請負仕事をしているのではなく、我々に目的があって補助金を得ているのだと話せば、だれもが分かってくれるし、協力さえしてくれるようになった。そして、自らの資金を使い、自らの努力でバリアフリー化の改築をする旅館や、インフラの整備をする自治体が現れるようになってきた。今では福祉関係のセクターとも協力をしあっている。
協働の形は、システムでは表せない。市民セクターに様々な理念と責任が芽生え、行動を起こしたときに、行政がいかに応えることができるかが重要で、そこには最も基本的な「補完性の原理」の考え方が必要だ。 補完性の原理とは、行政体と行政体の間だけにあるものではなく、まず生活者のコミュニティーやNPO活動と、行政体との間に存在するものである。市民ができることは市民がする。それを行政はいかに補完するかが重要なのである。そうすれば、小さな政府のあり方などすぐに見えてくるだろう。 協働の主体を民にし、民を補完する行政や社会だけが、新しい公共の時代を開くことができるのだと思う。 |
寄稿 2004 秋季「地域政策・あすの三重」(企画編集 三重県 政策開発研修センタ−)
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